koredoyo(これどうよ?)

制約の向こうに悦びがある—

地方で、仕事と家庭を回しながら、装いと道具と空間と身体を整えています。
ここは完成形の提示ではなく、アラフォー男の経験に基づく運用ログです。

私は、ファッションを他者に主張するためだけのものとは考えていません。
もちろん、清潔感があること、整って見えること、不快な印象を与えないことは大切です。
ただ、それだけでは足りない。

自分が選び、悩み、買い、失敗し、また整え直したものを、自分自身が見返して納得できること。
その納得感がなければ、たとえ外から褒められても、どこかに空洞が残ります。

承認は大切です。
けれど、納得しないと意味がない。
そして納得は、自分の中でしか得られません。

この場所では、その納得に至るまでの過程を書き残します。


制約を前提にする

アラフォーになり、家庭を持ち、地方で暮らしていると、制約は一気に現実になります。

予算には限りがある。
実店舗を自由に巡れるわけでもない。
体型も、年齢も、職種も、生活環境も無視できない。
若い頃のように、勢いだけで服を買うことも難しくなります。

けれど、制約はただの不自由ではありません。
制約があるからこそ、何を残すか、何を諦めるか、何に知恵を使うかがはっきりします。

このブログのテーマは、制約を無視して悦びを得ることではありません。
制約の中で考え、整え、その向こうにある悦びへ辿り着くことです。


攻めない、遊ばない、油断せず整える

今の私がボトムスに求めているものは、かなりはっきりしています。

攻めない。
遊ばない。
油断せず整える。

そして、主張はしないが、目線を引く。

遊びや攻めの主張は、トップスやアウターに任せればいい。
ボトムスは全体の基準面であり、着こなしの土台です。

私が目指しているのは、主張があるがまとまっている着こなしではありません。
まとまりのなかに主張がある状態です。

まず全体の秩序がある。
線、色、素材、役割分担が整っている。
その中にだけ、静かな主張がある。

そういう装いを目指しています。


完成形ではなく、運用ログ

ここに書くことは、万人向けの正解ではありません。
私の身体、私の生活環境、私の予算、私の失敗から出てきた判断基準です。

ボトムスの寸法。
平置き画像の見方。
静止画でのシルエット確認。
素材の落ち方。
痩身と健康管理。
部屋や道具の整え方。

それらを、自分の生活の中でどう運用するか。
その記録がこのブログです。

完成形を見せる場所ではなく、判断と修正の過程を残す場所です。


ファッションとは健康の趣向化である

アラフォーになってからファッションに注力する意味は、若い頃とは少し違います。

ファッションは自己満足です。
痩身も、ある意味では自己満足です。
けれど、好きだけで続けるのは難しい。

だから、目的への接続が必要になります。
その接続先が、私にとっては健康管理です。

一方で、健康管理も「健康のため」だけでは続けるのが難しい。
そこには悦びが必要です。
服をきれいに着たい。
静止画を見返して納得したい。
ボトムスの線を整えたい。

その悦びがあるから、体重を測り、食事を整え、身体を管理する意味が生まれます。

私にとってファッションとは、健康の趣向化です。
そして痩身は、自己満足と実益をつなぐ橋渡しです。


この場所について

koredoyo は、「これどうよ?」と問いながら、自分の生活を少しずつ整えていくための場所です。

装いも、道具も、空間も、身体も、最初から完成しているわけではありません。
試して、失敗して、記録して、また整える。

その過程にこそ、私にとっての悦びがあります。